――「翻訳の違い」ではなく「版の違い」が混じっている
「エズラ記は、捕囚から帰ってきて神殿を建て直す話の記録です。ただ、エズラ記を原文(ヘブライ語)や古代訳(ギリシア語)で丁寧に読もうとすると、いきなり難しい壁にぶつかります。それが、七十人訳(LXX)に「エズラ」が二つあるという事実です。
1.まず知っておきたい前提――「LXXのエズラ」は一つではない
LXXの中には、ヘブライ語(MT)に比較的忠実な「エズラ―ネヘミヤの翻訳」(一般にEsdras Bと呼ばれる系統)がある一方で、素材の並び替えや追加・省略があるEsdras A(= 1 Esdras/第一エスドラス)も存在します。つまり「LXXを見れば安心」というより、どの「LXXのエズラ」を参照しているかを確認しなければ、比較の出発点から食い違ってしまいます。
2.違いを見たときに増える「判断の階段」――翻訳差か、版差か
この二つの系統があることで、本文批評の手順が実質的に変わります。一般的には、MT(ヘブライ語本文)とギリシア語訳で違いがある場合、「翻訳上のズレか」「底本(ヘブライ語の元テキスト)の違いか」を検討します。しかしエズラ伝承の場合は、そこにもう一つ、「そもそも別の版(recension)だから違うのでは?」という可能性も加わります。特に1 Esdras(Esdras A)は、ただの訳の違いでは説明できない規模で順序の入れ替え、追加、省略があるため、違いを発見した場合は、まず「翻訳差」ではなく「編集(版)の違い」として読むことで、誤った判断を避けやすくなります。
3.二系統は現代読者への問いとなる――伝承・受容・語り直し
この話は一見すると専門家だけの問題のようですが、実は読む人全員に問いを投げかけています。同じ出来事が「翻訳された流れ(Esdras B)」と「語り直された流れ(Esdras A)」の両方で伝わっていることは、聖書の本文が一度コピーされて終わりではなく、共同体の中で受け入れられ、再び提示され、強調点も含めて受け継がれてきたことを示しています。第一エスドラスが歴代誌の末尾を取り込み、例えば「三人の護衛兵の物語」のような独自の挿入を持つ点も、「語り直し」が意図的に行われた証拠だと言えるでしょう。
4.第一エスドラスは「正典を崩す道具」ではなく「補助レンズ」
ここで理解しておきたいことは、第一エスドラス(Esdras A)を使って正典本文(MT)を否定する必要はないということです。むしろ、MT(や、それを元にした教会の標準翻訳)を軸にしつつ、第一エスドラスを参照することで、「同じ素材が別の形で語られると何が見えてくるか」や「共同体がどこを強調したかったのか」を知ることができ、正典本文の読みが歴史的・共同体的に奥行きあるものとなります。LXXにおいてEsdras AとBがそれぞれ独立した書物として並んでいる、という基本的な事実自体が、この「補助レンズ」としての価値を証明しています。
5.そこで私たちはこう読もう
1)主テキストはMTで固定し、論理や構成を最初に確認する
まずMT(ヘブライ語本文)を「土台」とし、段落構成や繰り返される言葉、話の中心点(何が重視されているか)をしっかり把握します。これをせずに古代訳に進んでしまうと、比較がただの「違い探し」になり、本文の意図をつかみにくくなります。
2)次にEsdras B(LXX-B)を「翻訳の証人」として確かめる
続いてLXX-B(Esdras B)を確認し、訳語対応、語順、意訳が入っていないかなどに注目します。ここは基本的に「翻訳差/底本差」を検討する場面で、MTの読みを補完したり、底本違いの可能性も慎重に考えたりします。LXX-Bは、例えばエズラ記3章などでも、基本的にはMTに従った形で伝えられていることがわかります。
3)最後に第一エスドラス(Esdras A)を「版差(編集差)の証人」として読む
最後に1 Esdras(Esdras A)を見るときには、違いを見つけてもすぐ「原文が違う」と決めつけず、まずは「順序の入れ替え」「追加」「省略」「強調点の変更」などとして読むのが、エズラ本文批評を安全に進めるコツです。実際、エズラ記3章にあたる箇所が第一エスドラスでは5:47–65に置かれている(節番号や配置が異なる)事実自体、「これは単なる翻訳違いではない」という重要なサインとなります。
次回は、具体的にエズラ記3章でその手順通りに見てまいりましょう。(©Dr. Makoto)