1.三つのテキスト、三つのカメラワーク

エズラ記3章を読むと、同じ出来事を語っているはずの三つのテキストが、それぞれ異なる角度から描写しているように感じられます。ヘブライ語原文(MT)は、事件を淡々と記録する公文書のようです。一方、ギリシア語訳のエズラ記(LXX-B)は、その公文書を丁寧に読み上げる翻訳者の声に近い印象があります。さらに、第一エスドラス(Esdras A)は同じ取材内容に解説を加えた「特集番組」のような構成が特徴的です。

2.「ひとりの人のように」か、「東門の広場」か(3:1)

冒頭で民がエルサレムに集結する場面は、MTとLXX-Bの両方がほぼ同じ表現で「ひとりの人のように(כְּאִישׁ אֶחָד)」集まったと記されています(新改訳2017では「一斉に集まって来た」と訳されています)。この部分は、翻訳によく見られる、ごく自然な対応関係です。しかし、第一エスドラスでは、同じ出来事の描写に「東門前の広場」という具体的な場面説明が加わっています。まるで中継リポーターが「今カメラはこの広場にいます」と現場を説明しているようで、翻訳の違いを超えて、編集方針そのものが異なることがよく分かります。

3.恐れの理由に「演出」が加わる(3:2–3)

祭壇を築く場面でも、MTとLXX-Bはいずれも「恐れながら祭壇を建てた」と淡々と描写しています。しかし第一エスドラスでは、まわりの民族による「敵意」や「圧迫」といった要素が強調され、その場の緊張感が増しています。同じニュースでも、一方は事実を伝える記者会見、もう一方は背景まで掘り下げるドキュメント番組のような違いが感じ取られます。

4.仮庵祭の描写は「特集記事」風に(3:4–5)

仮庵祭や献げ物の場面でも、MTとLXX-Bは記述内容とその順序がほとんど一致しています。それに対して第一エスドラスは、安息日や新月、さらには他の祭りまで話題を広げ、当時の礼拝生活全体をわかりやすく紹介しています。「実は当時の人々は他にもこんな祭りを守っていました」と補足説明するナレーションのような語り方が加えられているのです。

5.「祭壇優先」の神学は、三者とも一致(3:6)

ところが、どのテキストも必ず伝えている重要な点があります。それは、祭壇の奉献が神殿の礎よりも先であったという事実です。この点だけはMTもLXX-Bも、そして第一エスドラも完全に一致しています。つまり「神殿より祭壇が先」という神学的メッセージは極めて大切であり、どの伝承でも共通していたのでしょう。この統一感は、まるで各社の新聞が同じ大見出しで報道するかのようです。

6.木材輸送の描写は「映像化」へ(3:7)

資材の調達場面では、MTとLXX-Bは「海路で運んだ」とだけ簡潔に記していますが、第一エスドラスだけは「筏で港へ運んだ」と具体的な光景まで描いています。さらにCGで再現されたニュース特集を見ているようで、読者の頭の中に潮風や波音といった情景まで思い浮かぶようです。

7.翻訳差か、版差かを見極める

このように三つのテキストを読み比べると、LXX-Bは原文に忠実な翻訳であるのに対して、第一エスドラは物語を補い、説明を加え、現場の雰囲気まで伝えようとする“再叙述版”であることが分かります。本文の違いを発見したとき、「原文が違っていた」とすぐに断定してしまうと、重要な点を見逃してしまうかもしれません。

まずは「翻訳による揺れ」なのか、「編集方針そのものの違い」なのかを丁寧に見極めていくことが大切です。これこそが、古代文書を比較する面白さと奥深さを深める方法なのです。(©Dr. Makoto)

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