1.礎の儀式が始まる──三つのテキストのカメラが回る

エズラ記3章後半では、神殿の礎が据えられる印象的な場面が描かれています。

ここでは、ヘブライ語の原文(MT)、その忠実なギリシア語訳(LXX-B)、そして物語をやや膨らませた第一エスドラ(1Esdras)が、それぞれ異なる「撮り方」をしています。

MTとLXX-Bは、祭司たちが正式な装束を身につけ、シンバルを鳴らしつつ賛美を始める様子をほぼ同じ構図で伝えています。いわば「事実をそのまま伝えるストレートニュース」のようだといえます。それに対して第一エスドラスは、楽器を持ち賛美しながら人々が動き出す場面を少し詳しく描写し、現場の「ライブ感」を強調します。

同じ儀式を扱いながら、伝える人の意図の違いがすでに表れています。

2.「主は恵み深い」──三者が足並みを揃える場面

礼拝が始まると、人々は「主は恵み深い。永遠にその慈しみはイスラエルの上に」と声を合わせます。この部分は、MTもLXX-Bも1Esdrasもほとんど違いなく伝えています。

それだけ、この賛美の言葉が共同体の中心にあったのでしょう。翻訳のわずかな違いはありますが、内容が大きく変わることはありません。

ちょうど、どの新聞社も共通の決まり文句をそのまま引用する時、記事同士の違いよりも共通点が目立つ場面のようです。

3.若者は歓声、年長者は涙──「記憶」が分けた二つの反応

ところが、この後の雰囲気は大きな分かれ道となります。MTでは、かつてソロモンの神殿を知る年配の祭司や長老たちが「昔の栄光を思い出して泣いた」と描写されます。その一方で、新たな神殿の再建に立ち会う若い世代は大声で歓喜します。

LXX-Bも、語順の違いを除けばほぼ同じ光景を伝えています。世代ごとの経験の違いがそのまま感情の違いとして表れている、象徴的な場面です。

ここで第一エスドラスは筆致を変えます。ただ泣いたり喜んだりするだけでなく、「声が入り混じり、どちらがどちらかわからなくなる」という描写を付け足します。まるで「現場の音響」を意識したかのように、混ざり合った感情の「大きな音のうねり」として全体を表現しています。

4.歓声は遠くまで届いた──第一エスドラスが音の世界をさらに広げる

最後の節(3:13)も、MTとLXX-Bは歓声が非常に大きく、遠くまで響いたと記しています。まるで同じニュース原稿を読み上げているかのような一致ぶりです。

しかし、第一エスドラスはさらに踏み込み、涙声と歓声が混ざり合い区別できない、という描写を加えています。

泣き声と歓声が重なることで、喜びと嘆きが渦巻く「音の情景」を描きたい、そんな編集意図が感じられます。

5.三つの伝承が教えてくれる、感情の交差点

この短い場面で際立つのは、やはり「歓声と涙が同時に生まれた瞬間」です。

MTとLXX-Bは、その対比を簡潔に伝え、歴史の一場面として淡々と記録します。これに対し第一エスドラスは、両者の声が一つに混ざる様子を強調し、人間の複雑な感情をより鮮明に描き出します。

翻訳による違いなのか、あるいは編集段階での違いなのか―その見極めは本文批評を進める上で重要です。しかし、こうした違いを注意深く追い掛けていくと、古代の人々の息づかいや当時の空気感まで伝わってくるように思えます。

これこそが、エズラ記3章後半の面白さであり、三つのテキストが重ねて見せる「感情の交差点」の豊かさなのです。(©Dr. Makoto)

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