聖書を読むと、多くの人は二つの極端な考え方に陥りがちです。一つは、「昔の話だから自分には関係ない」と距離を置くこと。もう一つは、「当時と今は同じだから、そのまま自分にあてはまる」と短絡的に読み替えることです。
この両極端の間にある「ちょうどよい読み方」を示してくれるのが、アメリカの神学者スティーヴン・ビーヴァンス(Bevans)が提唱した「文脈化神学(コンテクスチュアル・シオロジー)」です。簡単に言えば、「聖書の世界」と「現代の世界」の間に、どのように橋をかけるかを考える方法です。
この考え方の中でエズラ記6章を理解する際、特に役立つのが「翻案モデル(translation)」と「対話モデル(dialogical)」の2つです。
1.エズラ記6章とはどんな章か?
エズラ記6章は、バビロン捕囚から帰還したイスラエルの人々が、ついに「第二神殿」を完成させる場面を描いています。
・ダレイオス王が神殿再建を正式に認める
・地方総督たちも協力せざるを得なくなる
・工事が終わり、奉献式が行われる
・その後、過越の祭りが回復される
旧約の中でも「共同体再建」の重要な節目です。
ただし、当時の世界は
・世界帝国ペルシアの支配下にある
・国家宗教の中心に神殿が据えられる
・祭司制度と犠牲制度が根付いている
という、現代とは全く異なる仕組みの中で動いていました。そのため、私たちはこれを単純に現代へそのまま当てはめることはできません。
2.翻案モデルの落とし穴
翻案モデルとは、本来「聖書の真理を現代に翻訳する」姿勢ですが、行きすぎると
・神殿の完成 → 教会堂を建てる話
・王の支援 → 国が教会を助けるべき
というように、文脈を無視した単純な置き換えに陥りやすくなります。それは、外国の法律を、そのまま日本の法律として使おうとするようなもので、土台が違うため、うまく機能しません。
3.バランスの取れた読み方:対話モデル
そこで大切になるのが「対話モデル」です。これは、聖書の時代と現代の世界の両方をていねいに見比べ、その間に共通する「原理」を探す読み方です。エズラ記6章を例にすると、次のような対話が生まれます。
1)当時の世界
・神殿再建はペルシア帝国の支配下で進む
・行政文書が大きな役割を果たす
・礼拝の中心を取り戻すことが共同体の核となる
2)現代の世界
・教会も社会制度や行政と関わりながら存在している
・規模よりも「共同体の本質」が問われやすい時代となっている
・礼拝や信仰の伝承が揺らぎやすい現状がある
3)対話して見えてくる原理
そのままコピーはできなくても、このような原理が浮かび上がります。
・神はどの時代や制度の背景にも働いておられる
・信仰共同体は外からの圧力の中でも再建できる
・礼拝が常に共同体の中心であり続ける
・大きさではなく「忠実さ」が再建の基準となる
・過越の回復は「救いの物語を思い起こす」出来事である
つまり、エズラ記6章は「ただ建物を建てよ」と語っているのではありません。どんな時代でも、神の民は礼拝と信仰の記憶を中心に立ち上がる、という原理を伝えているのです。
4.現代の教会への示唆
この原理は、現代を生きる私たちにも静かに、けれど力強く語りかけてきます。
- 成果主義ではなく、「忠実さ」:第二神殿はかつてのソロモンの神殿よりはるかに小さな建物でした。それにもかかわらず、聖書は民の献身に重きを置いています。
- 社会制度は「敵」だけでなく、時には協力の場でもある:
- ペルシア帝国は一方で抑圧する側でもあり、再建を手助けする主体にもなりました。現代でも、行政や制度との健全な関係を模索するヒントになります。
- 「救いの記憶」が共同体を強くする:過越の祭りが回復されたように、礼拝や主の晩餐、教理教育など「信仰の記憶を新たにする営み」が、現代の教会の土台となります。
5.おわりに
エズラ記6章は、単なる神殿建設の記録ではありません。そこには、神はどんな時代においても共同体を立て直してくださる。その中心には、礼拝と救いの記憶が据えられている、という普遍的なメッセージが込められています。
言い換えれば、古代の物語と現代の私たちとの間に「一本の橋」を架ける作業こそ、Bevansが説いた文脈化の本質であり、エズラ記6章の豊かさを引き出す最良の読み方なのです。©Dr. Makoto