1.はじめに
 エズラ記を読むと、次々に複数の王の名前が登場します。「キュロス」「クセルクセス」「アルタクセルクセス」といった名前は、聖書を読んでいるときに一度は難しいと感じるポイントです。しかし、誰がどの時代の王で、どのようにつながっているのか流れを理解すれば、エズラ記だけでなく、エステル記やネヘミヤ記も一つの大きな物語としていきいきと見えてきます。
 まるで長編ドラマのシーズン1・2・3が、ようやく一つにつながったように感じられるでしょう。

2.「帰ってよい」と言った王──キュロスの時代
 最初に登場するのは、ペルシア帝国を築いた王キュロス(Cyrus II)です。紀元前6世紀、彼はバビロンを征服し、捕らわれていたさまざまな民族に故郷へ帰る許可を与えました。その中にはイスラエルの人々も含まれていました。
 エズラ記1章には「帰還命令」と「神殿再建の許可」が記されています。これはキュロスの政策によるものでした。
 このとき、イスラエルの神殿再建は新たな出発点に立ちました。ただし、計画が思い通りに進むとは限りません。歴史も信仰も、予想通りにはいかないものです。帰還した人々は妨害を受け、工事は途中で止まってしまいます。物語は次の王の時代へと進んでいくのです。

3.皇帝の世代交代──クセルクセスの時代
 キュロスの後には何人かの王が続き、やがてクセルクセス1世(Xerxes)が王となります。エズラ記4章6節に登場する「アハシュエロス」は、クセルクセスをヘブライ語で読んだ名前です。
 クセルクセスはエステル記でも有名な王です。彼の時代、帝国は広い領土を持ちましたが、各地で反乱や政治的な緊張が高まりました。この時代、地方の統治は慎重に行われ、どんな小さな動きも「反逆の兆し」として警戒されました。
 エズラ記にある「訴状」は、こうした背景を反映しています。神殿再建後のユダの人々の活動を、地方の権力者たちがクセルクセス王へ告発したのです。

4.書簡が物語を動かす──アルタクセルクセスの時代
 クセルクセスの息子、アルタクセルクセス1世(Artaxerxes I)の時代になると、エズラ記4章7〜23節にこの王への告発書簡が記されています。その内容は、エルサレムを「反逆の町」と決めつけ、城壁工事を止めようとするものでした。政治が不安定な時期には、そのような訴えが通りやすかったのです。
 エズラ記4章が少し読みにくいと感じるのは、「時代が前後する」からです。物語はキュロスから始まったのに、途中でクセルクセス、さらにアルタクセルクセスと、順番が入れ替わって描かれています。しかし、これは編集者が意図して構成した結果と考えると理解しやすくなります。

5.年表で見ると一気にわかりやすくなる
 ここで王の名前、エズラ記での扱い、在位期間(BC)、大体の年代差をまとめておきましょう。以下の通りとなります。 この4人の王の流れを把握すると、エズラ記・エステル記・ネヘミヤ記のつながりが一気に理解できるようになります。

王の名前エズラ記での扱い在位期間(BC)大体の年代差
キュロス(Cyrus Ⅱ)エズラ1–4章前半「帰還・神殿再建を許可」559–530基点
カンビュセス(補足)聖書にはほぼ登場しない530–522キュロスの後継
ダレイオス1世(Darius I)エズラ5–6章「再開を許可」522–486キュロスから約40~50年後
クセルクセス1世(Xerxes I)=アハシュエロス4:6「訴状が出された時代」/エステル記486–465キュロスから約40~50年後
アルタクセルクセス1世(Artaxerxes I)4:7–23(妨害書簡)/エズラ7章・ネヘミヤ記465–424クセルクセスから直後

 6. 4章に込められた編者の意図
 本来なら、神殿再建だけに注目するのなら、キュロス → ダレイオス、この2人の王だけで説明できます。実際、神殿はダレイオス王の時代(前516年)に完成します。
 それでもエズラ4章には、クセルクセス(4:6)アルタクセルクセス(4:7–23)という、神殿完成後の時代に起きた別の妨害(主に城壁再建に関わるもの)まで挿入されています。
 これは、著者が歴史を間違えたのではなく、はっきりとした神学的な意図に基づいて編集されているからです。つまり、「妨害は一度きりではなく、神の民はいつの時代も反対に直面してきた」と伝えたかったのです。最初の読者へは、次のようなメッセージが届きます。

・歴史のどの時代でも、主の働きには必ず抵抗がある
・抵抗は一時的でなく、継続的なものとして存在する
・それでも神の計画は、途中で止まることがあっても、最終的には成し遂げられる
・神の民は、忍耐しながら神の時と方法を待つ必要がある

 このようなメッセージを伝えるために、4章は時系列ではなく「テーマ」に沿って妨害の話がまとめられているのです。

7.100年を見渡すと見えてくる、神の変わらない導き
キュロスからアルタクセルクセスまで、およそ100年の時代が流れます。その間、王も政策も国際情勢も何度も変わりましたが、エズラ記は静かにこう語りかけます。
 時代が移り変わっても、神の計画は変わらないのです。工事が中断されたり、訴えが起こされたり、書簡が交わされる中でも、人間の動きは複雑ですが、神のご計画は着実に進んでいきます。
 やがてダレイオス王の時代に工事は再開されました。歴史の舞台がいかに激しく動いても、聖書は「神は今も生きておられる」と繰り返し語っています。
 この視点を持つことは、毎日の聖書通読の大きな励ましになります。人の思いがぶつかり合い、時代が動く中でも、神の愛と義、変わらぬ意志はいつも働いています。
 そして、私たちもまた、この壮大な物語の続きの中に生きているのです。©Dr. Makoto